”龍馬になりたい!”を読んで

脱藩は大罪で、罪は親類縁者に及びます。実際、姉の乙女は離縁もう一人の姉、お栄は自害をしています。竜馬も脱藩する時には、これと言った目的は持っていなかった、孫正義氏もこれと言った目的は無く、ただアメリカを見たかったと述べています。ただ、漠然とクリエイティブな仕事がしたい、事業家に成る夢を持っていたと述べ、これを後押したのが竜馬の脱藩だったそうです。私も高知県出身で現在は脱県をしていますが、私の脱県には志がありました。高知県は山と海に囲まれ海は綺麗ですよ。私が若かった時には、講習会といえば、東京で開かれ、交通費と講習会費が馬鹿にならず、勉強をする為に脱県をしました。                                             Dr.K]]>

”龍馬になりたい!”を読んで

孫正義   人生の転機に学んだ男の生きざま 殆どの龍馬fulwannは司馬遼太郎の(竜馬がゆく)を読んでいます。孫正義さんの場合は3回読んだと言います。最初に読んだのが、15歳の時に高校を中退し故郷の佐賀を離れ、アメリカに留学しょうと心に決めた時。運悪く父が肝臓を患い吐血をし緊急入院し、家族や親戚から「家族がこんなに苦労している時に1人でアメリカへ行くつもりか」と猛反対された時、この本のおかげで、次の様な決意をしました。大きな義をとる為には、時として人を泣かせる事があってもしょうがないじゃないか。人生の中でここぞと言う時には、大義をとらなければならない事がある。家族には、いつか恩返しができる日が来るだろう。保守的な土佐藩を見切り、脱藩した竜馬の心境だったと述べています。                                   Dr.K]]>

"龍馬になりたい!”を読んで

龍馬の写真の眼差しは明らかに、太平洋を見ており、海の向こうの世界の事を考え世界の中の日本という国を作りたかったのではないでしょうか?土佐人の私が言うのも何ですが、私も海をみて育った環境で、時間があれば、海に行き海の音(1/fのゆらぎ)を感じながら寝ているのが好きでした。龍馬とはずいぶん違いはありますが・・・                                              Dr.K]]>

”龍馬になりたい!”を読んで

中内功さん社長室には等身大の龍馬の写真を掛けていると言っています。司馬良太郎の書いた(竜馬がゆく)を読んでいます。私は、読んでも無く、単に竜馬かぶれと言った方が良いでしょう。その中で中内さんは、この文章を抜粋していました。文久3年(1863年)の年頭に、土佐藩士、山地忠七にこうといています。《おらァ、ニッポンという国をつくるつもりでいる。頼朝や秀吉や家康が、天下の英雄豪傑を屈服させて国に似たものを作った。が、国に似たものであって、国ではない。源家、豊臣家、家康家を作っただけじゃ。ニッポンはいまだかって国がなかった。》これが、龍馬の歴史認識で、土佐人の血を引く中内さんは、龍馬の等身大の写真をみながら、こう書いています。土佐人は四国山脈と太平洋に囲まれていて、山を見て育った人間と太平洋を見て育った人間では性格も違って当然だと思います。                                             Dr.K]]>

"龍馬になりたい!”を読んで

土佐人ひいきの中内功はダイエーが飛躍するきっかけと成った、大型店舗の第一号店は龍馬と勝が興した神戸海軍操練所の寮の跡地にあり、海援隊の遺志継いだ気持ちであると記している。幕末、何故龍馬だけが皆の心に残っているのでしょうか?板垣退助やジョン・万次郎も活躍していたはずですが。それは、龍馬が17歳で脱藩をし、満32歳かぞえの33歳で暗殺され、その短い時間に思想家の龍馬がいたり、商売人の龍馬がいたり、とにかく短い時間を疾風したからではないでしょうか?しかも、その根底には、皆平等、日本国を作ると言うものが有ります。                                            Dr.K]]>

坂本 龍馬

龍馬になりたい!中内 功 (主婦の店ダイエー)の1号店を大阪で開店。龍馬の事をこう語っています。龍馬はというより、土佐人は世渡り下手だが、時代の先を見ていると、龍馬は明治維新の立役者ではあったが、暗殺された為自分は、日の目を見てない。薩長同盟を結び、大政奉還を現実の物にしています。明治維新になると、薩長の中には、政府高官に成っている人物は多いが、土佐人の方はというと、殆どいません。その事について言っている物と思います。しかし、龍馬が生きていた間は、つねに時代の先を見つめていました。中内功自信も、土佐とは全く関係が無いとは言えません。父親は高知で生まれであり、祖父は高知でうまれ育っています。それから大阪に行っています。祖父の名前が、中内栄という名前で、サカエ薬局、サカエ薬品を作ったそうです。ダイエーと言う名前も大阪の大(だい)と栄(えい)を使ったものです。                                      Dr.K]]>